時と場所

メッセージ

<エレミヤ書 29章1~14節>
牧師:砂山 智 師

開会聖句

ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分あります。

<マタイの福音書 6章34節>

メッセージ内容

<序論>  
・前回、お話ししたように、「エレミヤ書」は、日付のある事件や預言でさえ、年代順には並べられていません。今日の箇所は、冒頭の1節にあるように、バビロンに連れて行かれた捕囚の民に、エレミヤがエルサレムから手紙を送った時の話です。ただ、「バビロン捕囚」と呼ばれる出来事は、一回だけではありませんでした。「エレミヤ書」52章28~30節を読むと、計三回あったと記されています。その中でも一番有名なのが第二回目、紀元前586年のエルサレム陥落・ソロモン神殿の破壊なのですが、今日のテキストの2節、3節に書かれている状況は、エコンヤ王(エホヤキン王)がバビロンに連れ去られ、ゼデキヤ王(エホヤキン王のおじ)がエルサレムにいたということですので、第一回目の捕囚(紀元前597年)から数年後の話であったと思われます(Ⅱ列24:10~17)。つまり、前回お話しした21章よりも少し前の時代と考えていただければよいと思います。

<本論>
1、バビロン捕囚の民

1節と2節を読むと、捕囚となってバビロンに連れて行かれた人たちは、身分の高い人たちであったということが分かります。長老で生き残っている人たち、祭司たち、預言者たち、エコンヤ王、王母、宦官たち、首長たち、職人、鍛冶などです。先程、ご紹介した52章には、三回の捕囚で合計すると4,600人が捕らえ移されたと記されていました。ただ、これは男子のみを指していると思われますので、全体では15,000人くらいではなかったか、と言われています。当時の南ユダの人口は約25万人と推計されていますので、エルサレムに残った人たちのほうがずっと多かったわけです。今、ヨーロッパの先進国などでは、難民の受け入れが大きな問題となっていますが、当時のバビロンも、何でもかんでも全部受け入れるということではなかったみたいです。やっぱり、身分の高い人(財産を持っている)、何か手に職を持つ人など、自国にとって役に立つような人たちを選んで連れて行ったのです。そんな人たちに、エレミヤは手紙を書き送ったわけですが、その内容は、4節以降に記されています。

2、 家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ

『「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。『エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ。妻を迎えて、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻を迎え、娘を嫁がせて、息子、娘を産ませ、そこで増えよ。減ってはならない。わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために主に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。』』(同29:4~7)。

「住めば都」という言葉がありますが、エレミヤは、バビロンに連れて行かれた人たちに、腰を落ち着けて、その町の住民として、地に足をつけた暮らしをしなさい。そして、その町の平安を祈りなさい、と命じています。それが、あなたがたの平安につながるのだからと。
そして8節、9節。

『まことに、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。『あなたがたのうちにいる預言者たちや、占い師たちにごまかされるな。また、あなたがたが見ている夢に聞き従ってはならない。なぜなら、彼らはわたしの名を使って、偽りをあなたがたに預言しているからだ。わたしは彼らを遣わしていない。──主のことば。』』(同29:8,9)。

実は、この一つ前28章に、アズルの子ハナンヤという預言者が出てきます。彼は、捕囚の民に、次のように預言しました。

『「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、バビロンの王のくびきを砕く。二年のうちに、わたしは、バビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪い取ってバビロンに運んだ主の宮のすべての器をこの場所に戻す。バビロンに行ったユダの王、エホヤキムの子エコンヤと、ユダのすべての捕囚の民も、わたしはこの場所に帰らせる―主のことば―。わたしがバビロンの王のくびきを砕くからだ。』(同28:2~4)。

今日の箇所のすぐ後にも、コラヤの子アハブ、マアセヤの子ゼデキヤ、ネヘラム人シェマヤというような偽りの預言者のことが書かれています。この頃はまだ、都エルサレムもソロモンの神殿も健在でした。7章4節に

『あなたがたは、「これは主の宮、主の宮、主の宮だ」という偽りのことばに信頼してはならない。』

とありますが、「神殿があるんだから大丈夫」というような空気(楽観論)が、この時代のユダには蔓延していたようです。そして、そのような楽観論を語って、人々を喜ばせ、支持を得ようとする預言者たちが大勢いたのです。現代の政治の世界における、ポピュリズム(大衆迎合主義)と同じですね。
しかし、エレミヤが手紙に書いた預言は、全く正反対でした。あなたがたは、バビロンに家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ、と。

3、 七十年が満ちるころ
さらに、エレミヤは次のように預言します。これは、恐らく、「エレミヤ書」の中で、一番有名な預言だと思います。

『『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている。──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。わたしはあなたがたに見出される──主のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──主のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』』(同29:10~14)。

七十年といえば、私たちの人生で考えれば、本当に長いです。あのモーセに率いられた出エジプトの民がシナイの荒野を彷徨ったのが四十年です。それで、彼らのほとんどは世代交代しました。バビロン捕囚は、さらにプラス三十年です。このエレミヤの手紙を受け取った人たちは、誰一人、エルサレムの土を踏むことはできなかったと思います。そして、もちろん、エレミヤ自身も、自分の預言の成就を見ることはありませんでした。

<結論>
私たちは、今、「エレミヤ書」を読んで、その後の歴史も全部知っていますので、ああだこうだと言えるかもしれませんが、私たちに、今、問われているのは、「お前は、本気で、神様の約束を信じて生きているか?」「この地上で、約束の成就を見ることがなかったとしても、決して失望することなく、日々、地に足をつけた生き方をしているか?」ということではないかと思います。もし、エレミヤの預言が無かったなら、あのダニエルなどの捕囚民も、バビロンの地で完全に滅んでしまっていたと思います。彼らや、その子、その孫たちが、異郷の地でしぶとく生き残り、希望を持ち続けることができたのは、やっぱり、このエレミヤの預言、約束があったからだと思うのです。
「球根の中には」(讃美歌21)という歌の最後は、「その日、その時を、ただ神が知る」という歌詞で結ばれています。私たち人間が知ることができるのは、ほんの僅かなことです。歴史のすべてを知っておられる方に信頼し、決して絶望することなく、それぞれが、今、置かれている場所で地に足をつけた生活をすること。それが、今日の私たちへのメッセージではないかと思っています。

『ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分あります。』(マタイ6:34)。

イエス様って、結構、「その日暮らし」みたいなところがあるなぁ、とよく思わされるのですが、それは、裏を返せば、父なる神への絶対的な信頼の証であると言えるでしょう。
今日も、イエス様は、明日のことまで心配しないで、今という時を大切に、それぞれが置かれた場所で精一杯生きよ、と言っておられると思います。祈りましょう。

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新聖歌

開会祈祷後:275番、メッセージ後:515番

聖書交読

詩編 66篇1~9節

2018年教会行事

10月24日(水)オリーブ・いきいき百歳体操

#50-2629

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