神がともにおられるということ

メッセージ

<サムエル記第2 6章1~11節>
牧師:砂山 智

開会聖句

ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、主が彼とともにおられた。

<サムエル記第2 5章10節>

メッセージ内容

Youtube動画

動画公開が遅れて申し訳ありません。
メッセージ動画公開:10/3 AM 1:22

 メッセージ原稿を公開しました。 
 

<序論>  
・「Ⅱサムエル」はダビデ王の治世の記録と言えます。ダビデはエッサイの息子として生まれ、8人兄弟の末っ子、そして羊飼いでした。ところが、預言者サムエルによって油注がれ、イスラエルの王に選ばれます(Ⅰサム16:13)。そして、あのペリシテ人の代表戦士ゴリヤテを打ち倒し、様々な敵に連戦連勝して、サウル王の軍の指揮官にまで取り立てられます。しかし、「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」と女たちが歌うのを聞いたサウルはダビデを妬み、その命をつけねらうようになります。その結果、ダビデはサウルが死ぬまで、ユダの荒野、或いはペリシテ人の町々を逃げ回るはめになるのです。けれども、

『神はダビデをサウルの手に渡されなかった』(Ⅰサム23:14b)。

この辛い経験を通してダビデはただ神にのみ頼ることの大切さを学びます。旧約聖書の「詩篇」の多くはダビデの作として知られていますが、もし、この頃の辛い経験が無かったなら、あのような素晴らしい「詩篇」は生まれなかったのではないか、と私は思っています。そして、やがてサウル王は死に、ダビデが次の王となるのですが…。
今朝は「神がともにおられるとは」と題して、皆さんと一緒にみことばに耳を傾けたいと願っています。

<本論>
1.二重王国から統一王国へ

今年のNHKの大河ドラマは「鎌倉殿の13人」です。平家を滅ぼした源頼朝は征夷大将軍となり鎌倉幕府を開きますが、三代目の実朝でその血筋は絶えてしまいます。そして、その後、実権を握るのが執権北条氏です。そこに至るまで幕府内部で凄まじい権力闘争が繰り広げられます。私も今回のドラマで初めて知ったんですが、さすが三谷幸喜ですよね。フィクションも交えながら、本当に飽きさせない展開になっています。それと同じようにというか、今朝のダビデも、サウル王の死後、自分の王位を確立するまでには一波乱も二波乱もありました。すんなりとはいかなかったんです。サウルが死んだ後、ダビデはヘブロンで油注がれ、ユダの王となりますが、残りの部族はサウルの息子イシュ・ボシェテを王とします。そして、両者の争いが2年も続くのです。言わば「二重王国時代」ですね。サウル側の将軍アブネルやダビデ側の将軍ヨアブなども絡んで、生き残りをかけた激しい駆け引きが展開されます。とても興味深い話なんですが、今朝は時間の関係もありますので、その辺の話は省略させていただきます。最終的にダビデが勝利し、サウルの一族はヨナタンの息子メフィボシェテ以外すべて滅ぼされてしまいます。そして、ダビデが全イスラエル、イスラエル十二部族の王として即位するのです。それが今朝のひとつ前の5章です。

『イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「ご覧ください。私たちはあなたの骨肉です。これまで、サウルが私たちの王であったときでさえ、イスラエルを動かしていたのはあなたでした。主はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる』と。」イスラエルの全長老はヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで、主の御前に彼らと契約を結び、彼らはダビデに油を注いでイスラエルの王とした。ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。ヘブロンで七年六か月ユダを治め、エルサレムで三十三年イスラエルとユダの全体を治めた』(Ⅱサム5:1~5)。

2.主が彼とともにおられた

ダビデにとっては実に三度目の油注ぎになります。そして、彼はようやく、名実ともに全イスラエルの王となったのです。その後すぐ、ダビデはエブス人が占領していたエルサレムを攻め落とし、都とします。このことが、ダビデが強力な王国を築くことができた一つの要因になったと言われています。それは、この都が敵から攻められにくい天然の要害にあり、南の諸部族と北の諸部族の境界線上にあって双方に目が届く地点にあったからです。ただ、サウルが言わば悲劇の王であったのに対して、ダビデがそのように強力な繁栄の王となれたのは、両者の人間的な能力の差によるものではなかったでしょう。今朝の開会聖句にあるように、ただ、万軍の神、主がダビデとともにおられた、ということに尽きると思います。ダビデはどんなことがあっても、大きな罪を犯し、奈落の底に突き落とされるようなことがあったとしても、決して神から離れなかったのです。否、彼が神から離れなかったということ以上に、神はそんなダビデを見捨てず、ともにいてくださったのです。そして、そのような神のご臨在を証しするものが神の箱でした。この当時、神の箱は、2節にあったようにユダのバアラという町に置かれていました。バアラとは、エルサレムの西方11キロほどの所にあった町で、今朝の箇所の並行記事の「Ⅰ歴代誌」13章に出てくるキルヤテ・エリアムの別名なんですが、神の箱はその町のアビナダムという人の家に70年余りも置かれたままになっていたのです。その理由は「Ⅰサムエル」4~7章を読めば分かります。ダビデにとって、その神の箱を運び入れることは、国の内外に自分の王権が正統なものであるということを示すための大切な行事であり、王権を揺るぎないものとするための総仕上げとも言えることだったのです。けれども、まさにその大切な行事の真っ最中に思いもかけない事件が起きます。

<結論>

その時、何が起きたかについては既に読みましたので、繰り返しは述べませんが、なぜ神はこのような怒りを発せられたのか。最後に、そのことについて考えてみたいと思います。
人間的に考えれば、ウザのしたことは、そんなに悪いことではないように思えるのではないでしょうか。牛がよろめいて神の箱がずり落ちそうになったのを自分の手を伸ばして支えたわけですから。もし、彼が支えなかったなら、神の箱は荷車から落ちて壊れていたかもしれません。ただ、それはそうなんですけれども、そもそも、この、神の箱を荷車に乗せて牛に引かせて運ぶという方法自体が間違っていたというか、神のみこころに背く行為だったのです。荷車に乗せて運ぶというのは、異教徒であるペリシテ人が取った方法でした。「出エジプト」には次のようなみことばがあります。

『箱のために金の環を四つ鋳造し、その四隅の基部に取り付ける。一方の側に二つの環を、もう一方の側にもう二つの環を取り付ける。また、アカシヤ材で棒を作り、それに金をかぶせる。その箱を棒で担ぐために、その棒を箱の両側の環に通す。その棒は箱の環に差し込んだままにする。外してはならない』(出エ25:12~15)。

神は、神の箱をこのように運ぶようにと命じておられたのです。この方法を守り、気をつけて慎重に運んでいれば、よもや、ひっくり返りそうになることもなかったでしょう。だからウザは裁かれたのです。ただ、疑問が残ります。アビナダブの子、ウザとアフヨはそのことを知らなかったのでしょうか?百歩譲って知らなかったとしても、神の箱をエルサレムまで運んで行くことは彼らの一存で決めたことではなかったでしょう。新しく王に即位したダビデが命じてそれを行わせたのだと思います。もしそうであったとするならば、その運ぶ方法まで彼らにきちんと命じておくべきだったのではないでしょうか。私は、この時、ダビデの心のどこかに、気の緩みというか、何か慢心のようなものがあったのではないかと感じました。恐ろしい敵は皆いなくなり、今、自分は晴れて全イスラエルの王として即位した。今朝の箇所の冒頭に

『ダビデは再びイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた』(Ⅱサム6:1)

とありました。この数には誇張があるという聖書学者もおられるようですが、その信憑性は別にしても、サウル王に追われていた頃のダビデの精鋭部隊は僅か600名でしたので、ダビデは本当に強大な権力を手にしたということはできるでしょう。その驕りが、彼をして、自分が神を呼び寄せるみたいな思いにさせたのではないでしょうか。だから、ウザが打たれたことを聞いた時、彼の心は激し、主を恐れたのです。パウロは、

『私は、彼らが神に対して熱心であることを証ししますが、その熱心は知識に基づくものではありません。彼らは神の義を知らずに、自らの義を立てようとして、神の義に従わなかったのです』(ローマ10:2~3)

と言っています。私たちは神の御者ではありません。神こそが私たちの御者であり、どんな時にもいつもそばにいて、私たちを助けてくださる方なのです。

メッセージ内容のダウンロード(PDF114KB)

新聖歌

開会祈祷後:355番、メッセージ後:402番

聖書交読

詩編118篇 1~18節

2022年教会行事

10月5日(水)オリーブいきいき百歳体操(10時~11時)

#54-2836

Comments are closed