主のあわれみは尽きないから

メッセージ

<エレミヤ書 40章1~6節>
牧師:砂山 智 師

開会聖句

それゆえ、私は言う。「私は待ち望む、主の恵みを」実に、私は滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。

<哀歌 3章21b~22節>

メッセージ内容

<序論>  
・39章にはエルサレムが陥落した時の様子が記されています。年代的に言えば、紀元前588年の初めから2年数ケ月の間に起こった出来事です。ゼデキヤ王は、エルサレムにバビロンの大軍勢が侵入してきたのを見て、夜の間に脱出し、アラバへの道に逃げます。しかし、あえなく捕まり、バビロンの王ネブカドネツァルのもとに連れて来られ、目の前で息子や重臣たちを虐殺され、目をつぶされ、青銅の足かせをはめられた、と記されています。思えば、ゼデキヤを南ユダの王位につけたのは、ネブカドネツァルでした(Ⅱ列王記24:17)。ですので、ゼデキヤは当初、親バビロンでした。しかし、彼の優柔不断な性格が災いしたのか、親エジプト派の家来たちの圧力に押されて、バビロンに反旗を翻したのです。ネブカドネツァルにとってみれば、「せっかく俺が王位につけてやったのに、恩を仇で返しやがって!この恩知らずめ!」という感じであったと思います。一方で、ネブカドネツァルは、親衛隊の長ネブザルアダンに、囚われの身であったエレミヤを解放し、目をかけてやるようにと命じます。ネブカドネツァルも、エレミヤがバビロンの勝利を預言したことを知っていたのです。

<本論>
1、ネブザルアダンによる解放

1節にある『ラマ』というのは、バビロンへ引いて行かれる人たちが一旦集められる収容所キャンプのような所であったと思われます。その経緯は分かりませんが、エレミヤは、何らかの手違いで、捕囚民の間で鎖につながれていました。戦後の混乱の中で、そのようなことが起こったのでしょう。親衛隊の長ネブザルアダンは、そんなエレミヤを見つけ、再び彼を釈放します。

日本でも、昭和20年の敗戦の後、占領軍(進駐軍)の手によって、大量の「政治犯」「思想犯」と呼ばれる人たちが牢獄から釈放されたことがありました。彼らは、戦前や戦中、時の政府から「国賊」「非国民」として厳しい弾圧を受けた人たちでした。共産党員、自由主義者、そしてクリスチャンも。ただ、すべてのクリスチャンがそうであったわけではありません。殆どのクリスチャンは、むしろ積極的に国に協力し、日本の勝利のために祈ったと聞いています。また、投獄され、命を落とした方たちの多くも、平和を守るためとか、「あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈れ」というような、隣人愛の教えに従ったから迫害を受けたということではなかったと、ある本で読んだことがあります。一番問題とされたのは、イエス様の再臨の教義でした。特高などから、「キリストが再臨する時、この地上に千年王国が現れると聞くが、その時、天皇はどうなるのか。キリストと天皇とは、どちらが偉いのか」と、厳しく追及されたのだそうです(ホーリネス弾圧事件)。もし、私たちメノナイトブレザレンが、戦前や戦中に日本で伝道していたら、どうなっていたでしょうか?国中が、「鬼畜米英」「一億総特攻」と戦争一色の時代に、聖書に基づいた隣人愛や平和を訴え続けることが、果たしてできたでしょうか。恐らく、無理であったと思います。そのことを思う時に、私は、誰一人として、過去のそのような信仰の戦いをくぐり抜けてこられた方々のことを非難したり、裁いたりすることはできない、と強く思わされます。そして、私たちが、一人一人の必要のために祈ることも、もちろん大切なことですが、二度と再びそのようなことが起こらないようにと、この国と政治家のために祈ることも、本当に大切なことだと思わされています。

さて、親衛隊の長ネブザルアダンは、捕囚民の中にエレミヤを発見し、再び解放してくれました。ネブザルアダンは、当然、異教徒であったと思います。しかし、驚くべきことなんですが、彼は、この「バビロン捕囚」の意味を、南ユダの人たちよりもよく理解していました。2、3節の彼の言葉を読めば、そのことがよく分かります。そして、その後、4節で、彼はエレミヤに、次のように言うのです。

『そこで今、見よ、私は今日、あなたの手にある鎖を解いて、あなたを釈放する。もし私とともにバビロンへ行くのがよいと思うなら、行きなさい。私があなたの世話をしよう。しかし、もし私と一緒にバビロンへ行くのが気に入らないなら、やめなさい。見なさい。全地はあなたの前に広がっている。あなたが行ってよいと思う、気に入ったところへ行きなさい。」』(エレミヤ40:4)。

2、 エレミヤの確信

完全にあなたの好きにしてよい、ということですね。けれども、エレミヤは帰ろうとはしませんでした。そこで、ネブザルアダンは、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤのところへ行くか、あなたがよいと思うところに行きなさい、と勧めます。そして、食糧や品物まで与えてくれます。最終的に、エレミヤはゲダルヤのところに行き、彼とともに、その地に残された民の間に住んだ、と記されています。

ゲダルヤという人は、南ユダの王族の一人ではありませんでしたが、バビロンの王ネブカドネツァルが、エルサレムに残された人たち(その多くは貧しい人たちでしたが)のために、任命した総督でした(Ⅱ列王記25:22)。ただ、エレミヤはなぜ、バビロンに行かなかったのでしょうか?バビロンに行けば、恵まれた生活を送ることができたでしょう。それは、ネブカドネツァルやネブザルアダンの言葉や態度を見れば明らかです。聖書は、彼がバビロンに行かなかった理由をはっきりとは記していません。
もしかしたら、エレミヤは、もう高齢になっていたと思われますので、「今更そんな遠いとこまで、ワシャよう行かんわ。」と思ったのかもしれません。しかし、この後の42章などを見ると、戦後の混乱の中、エルサレムに残された人たちはエレミヤを頼り、神のみこころを求めて尋ねて来たと記されています。つまり、エレミヤは、自分にはまだ預言者としての使命が残されているんだ。それは、エルサレムの貧しい人たちと共に歩むことなんだ、と確信していたのではないかと思うのです。ただ、その結果はどうだったでしょうか?それは、この世的に見れば、全く報われない、損な役回りを引き受けることになりました。混乱は依然として収まらず、人々はエレミヤの言葉に聞き従おうとはしませんでした。最後の最後まで、エレミヤは、同胞たちに振り回されることになるんですね。けれども、それが、エレミヤの持ち場と言いますか、預言者としての最後の仕事だったのです。バビロンに引かれて行った捕囚民の中には、エゼキエルという預言者が現れました。また、ダニエルもいました。神様のご摂理の中で、エレミヤに託されたことは、廃墟となったエルサレムに残された人たちとともに歩むことだったのです。私たちにも、「なんで自分が」とか、「損な役回りだ」と思うような時があるかもしれません。しかし、そんな時にも、神様は、今日のエレミヤがそうであったように、それぞれに大切な役割と使命とを与えてくださっているのではないでしょうか。

<結論>
今日の開会聖句は、「(エレミヤ)哀歌」とも呼ばれている「哀歌」です。その理由は、以前にもご説明しましたが、私は、このみことばに、今日のエレミヤの姿が重なって見えてきました。

『それゆえ、私は言う。「私は待ち望む。主の恵みを。」実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。』(哀歌3:21b,22)。

現実の問題を直視した時、本当に絶望する以外にないような気持ちになる時があります。神様はなぜ、試練をお与えになるのかと。しかし、「神はなぜ」と問う前に、覚えておきたいことがあります。それは、そのような中にあっても、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみは尽きないからだ、ということです。

パウロも、次のように言っています。

『私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れていますが、行き詰まることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。』(Ⅱコリント4:8~10)。

苦しめられ、途方に暮れ、迫害され、倒されることがあっても、私たちは滅び失せない。それは、主のあわれみは尽きることがないから。つまり、イエス様がいつも共におられますから。

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新聖歌

開会祈祷後:404番、メッセージ後:220番

聖書交読

詩編 89篇1~14節

2018年教会行事

11月14日(水)オリーブ・いきいき百歳体操

#50-2632

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