今は恵みの時、救いの日

    令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
    なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

    メッセージ

    <エレミヤ書 2章1~9節>
    牧師:砂山 智

    開会聖句

    神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。

    <コリント人への手紙第二 6章2節>

    メッセージ内容

    Youtube動画

     公開が遅れて申し訳ありません。
    メッセージ動画公開:7/11 PM 12:07


    メッセージ原稿を公開しました。  

    <序論>  
    ・「エレミヤ書」の内容は、預言者エレミヤによって語られた預言集と弟子のバルク(32,36章)が書記として編集した部分とで成り立っています。エレミヤは、(南)ユダのバビロン捕囚前後に活躍した預言者で、旧約では、イザヤ、エゼキエル、ダニエルと並んで、四人の大預言者の一人とされていますが、その生涯は苦難の連続でした。彼が預言者として召しを受けたのは、

    1章2節によると、『ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年』。

    西暦で言うと紀元前627年のことでした。このヨシヤ王は、ユダの歴代の王20人の中でも、三代前のヒゼキヤ王と並んで「善王(善い王さま)」として知られている人物です。ちなみに、聖書の評価(?)では、20人中7人が「善王」とされていますが、その評価の基準とされたのは、やっぱり、あの「ダビデ」なんです。
    ヨシヤ王は、紀元前640年にユダの王として即位します。そして、紀元前628年に偶像礼拝を禁止し(Ⅱ歴代34:3)、宗教改革(信仰復興)運動を始めます。エレミヤが預言者として召されたのは紀元前627年ですから、ヨシヤ王の改革が始まった年の翌年ということになります。ですから、しばらくの間はエレミヤの活動も順調であったと思われます。しかし、ユダを取り巻く国際情勢は風雲急を告げていました。かつて全盛を誇ったあのアッシリア帝国も紀元前612年にバビロンによって滅ぼされてしまいます。この時、アッシリアを助けるために北上してきたのがエジプト軍で、ヨシヤ王は、このエジプト軍との戦いで戦死してしまうのです(Ⅱ列王23章・メギドの戦い)。エレミヤが預言者として召されてから22年目のことです。そして、その後、南ユダ王国は坂道を転げ落ちるように衰退してゆきます。エレミヤの活動は、紀元前583年頃までと考えられていますが、この時代に南ユダは滅亡し、民はバビロンに捕え移されるという「バビロン捕囚」という国家的悲劇が起きるのです。

    <本論>
    1.驚くべきみことば

    「預言者」というのは、皆さんもよくご存じのように、神のことばを預かって、そのまま伝えるという役割を担っています。ですから、預言者にとって一番大切なことは、まず、神からの語りかけをしっかりと聴くことでしょう。「エレミヤ書」を読んでいると、

    『次のような主のことばが私にあった』『主は私に言われた』

    ということばが繰り返し出てきます。自分がどんな状況にあったとしても、また、そのみことばが、本当に思いがけない、想像もつかないようなことであったとしても、エレミヤの生涯は、まさに、この一点に、つまり、神からのみことばを深く聴くということに集約されていたと言えると思います。
    神からの召しを受けたエレミヤは、初め、尻込みします。あのモーセもそうでした。ある本を読んでいて、

    「エレミヤは非常に内気な人であったそうだ。決して傍若無人というか、何ものをも恐れない強い人ではなくて、たえず悩み、人の言葉に左右される弱さを持っていた」

    と書かれてあって、何か親近感を覚えたのですが、神は、そんなエレミヤを預言者として選び、ご自身のことばを委ねられました。そして、そんな彼が初めて聞かされた神のみことばというのが、本当に衝撃的な内容でした。

    『すると主は私に言われた。「わざわいが北から、この地の全住民の上に降りかかる。今わたしは、北のすべての王国の民に呼びかけている。──主のことば──彼らはやって来て、エルサレムの門の入口で、周囲のすべての城壁とユダのすべての町に向かいそれぞれ王座を設ける。わたしは、この地の全住民彼の悪に対してことごとくさばきを下す。彼らがわたしを捨てて、ほかの神々に犠牲を備え、自分の手で造った物を拝んだからだ』(エレミヤ書 1:14~16)。

    今、読んだ中の『北』というのはバビロンを指しています。ユダの国は善王ヨシヤの時代で、その宗教改革(信仰復興)運動が始まったばかりの頃です。エレミヤは、やがてヨシヤ王の改革が実を結び、自分の祖国が素晴らしい国になるのではないかと期待していたと思われます。しかし、神が語られたことは全くそうではありませんでした。あの異邦人の国であるバビロンを用いて、祖国を滅ぼすという…。神のご計画は、私たち人間には想像もつかない、私たちの思いをはるかに超えた所にあると改めて思わされます。

    2.若いころの真実の愛
    そして、今朝のみことばなんですが、2節から、もう一度見てみましょう。

    『「さあ、行ってエルサレムの人々に宣言せよ。主はこう言われる。わたしは、あなたの若いころの真実の愛、婚約時代の愛、種も蒔かれていなかった地、荒野でのわたしへの従順を覚えている。イスラエルは主の聖なるもの、その収穫の初穂であった。これを食らう者はだれでも罰を受け、わざわいを被った。──主のことば──」』(エレミヤ書 2:2~3)。

    この、『若いころの真実の愛、婚約時代の愛、種も蒔かれていなかった地、荒野でのわたしへの従順』というのは、エレミヤの時代より遡ること700~800年前、エジプトを脱出したイスラエルの民がシナイ山で神さまと契約を結んだ直後のことを言っておられるのだと思います。ただ、「あれ?」と思ってしまいますよね。その頃のイスラエルの民は、このみことばで言われているような、神に対して誠実で従順な人たちだったでしょうか?「民数記」などからもお話ししましたが、とてもそんな風には思えませんでした。彼らはたびたび神に逆らい、不平不満を言い、モーセやアロンを打ち殺そうとさえしたのです。「うなじを固くする民」、それが、イスラエルの民の本当の姿でした。それなのに、何故、神は、今、このように言われるのか?もう、忘れてしまわれたのか?遥か昔のことだから、水に流してしまおうと思われたのでしょうか?本当に不思議です。
    この箇所について、ある方は次のように書いておられました。

    「「若いころの真実の愛、婚約時代の愛、種も蒔かれていなかった地、荒野でのわたしへの従順」。これらは、シナイ山での十戒を与えられた時代の民の姿を描いたものです。しかし、実際は、当時すでに民は不信仰をあらわにしていました。それなのに、神さまはそのような民を、ご自身に対し誠実で、愛をもって従う者と呼んでいてくださるのが印象的です。私たちの側の小さな誠実も、わずかな愛の行いも、一時の従順も忘れず、私たちを誉め、励ましてくださる神さまの姿を心に刻みたいところです」。
    『しかし主よ あなたはあわれみ深く 情け深い神。怒るのに遅く 恵みとまこと富んでおられます』(詩86:15)。

    <結論>

    そして、もう一つ。今日の箇所を通して示されたことは、そんな恵みとまことに富んだ神は、過去の私だけではなく、今の私をご覧になっている。言い換えれば、今、あなたはどのように生きるのか、と問いかけておられるということです。

    『わたしはあなたがたを、実り豊かな地に伴い、その良い実を食べさせた。ところが、あなたがたは入って来て、わたしの地を汚し、わたしのゆずりの地を忌み嫌うべきものにした。祭司たちは、「主はどこにおられるのか」と言うことがなく、律法を扱う者たちも、わたしを知らず、牧者たちもわたしに背き、預言者たちはバアルによって預言し、役立たずものに従って行った』(エレ2:7~8)。

    イスラエルの民は、多くの試練を経て、約束の地カナンに定住することができました。そこは、かつてさまよい歩いた、あのシナイの荒野のような不毛の地とは全く違う、実り豊かな地 良い実のなる地でした。彼らは、この世的に大きな祝福をいただいたと言えるでしょう。しかし、今、イスラエルは、そのような祝福を忘れて、神に従おうとはせず、空しい偶像の下へと行ってしまった。神はそのことに対して、「ところが、あなたがたは」と、問うておられるのです。それは今朝のイスラエルの民だけでなく、私たちに対してもそうだと思います。今ある祝福や恵みが当然のことのように思えて感謝することを忘れてしまった時、私たちも彼らと同じ過ちを犯してしまうのです。

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    新聖歌

    開会祈祷後:190番、メッセージ後:341番

    聖書交読

    詩編7篇 1~8節

    2023年教会行事

    7月12日(水) オリーブいきいき百歳体操

    #55-2876

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