なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<エレミヤ書 25章1~14節>
牧師:砂山 智
開会聖句
「見よ、その時代が来る―主のことば―。そのとき、わたしはイスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみの契約を果たす。
<エレミヤ書 33章14節>
メッセージ内容
Youtube動画
メッセージ動画公開:8/20 PM 7:52
メッセージ原稿を公開しました。
<序論>
・先月から「エレミヤ」を見てきましたが、今回で5回目。そして、とりあえず、今回で最終回となります。とりあえず、と言いましたのは、「エレミヤ」は52章までありまして、今回、「日々のみことば」で取り上げられているのが今朝の25章までだからです。後半は、実は今から5年前(2018年)に何回かに分けて話させてもらったのですが、今回、改めて「エレミヤ」と取り組んでみて、その難しさを思わされました。もちろん、旧新約聖書に収められている66の書簡には、それぞれにそれぞれの難しさがあるのですが、「エレミヤ」の難しさは何といっても時代順に書かれていないことですね。背景となる時代が遡ったり、急に進んだりします。今朝の25章もそうで、前回お話しした21章から24章までは、だいたい同じ時代背景(紀元前589~586年)でしたが、この25章で一気に20年ほど後戻りします。それは1節にあったように、
『ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年、バビロンの王ネブカドネツァルの元年』(エレ25:1a)。
年代で言うと紀元前(BC)605年になります。
カルケミシュの戦い
そして、「エレミヤ」において、このBC605年という年は、まさに時代の転換点と言うか、重要な出来事がたくさんあった年なんです。まず、この年の終わり頃に、古代オリエント世界における天下分け目の戦いがありました。今年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、今夜は秀吉と家康の最初で最後の直接対決「小牧長久手の戦い」だそうですが、「本能寺の変」の後の「山崎の合戦」、或いは、秀吉死後の「関ケ原の戦い」、そして「大坂の陣」。日本の戦国時代にもそのような戦いが何度かありましたが、「エレミヤ」においはBC605年がそうなんです。少し飛びますが、46章にそのことが書かれています。
『諸国の民について、預言者エレミヤにあった主のことば。エジプトについて、すなわちユーフラテス河畔のカルケミシュにいたエジプトの王ファラオ・ネコの軍勢について。ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年に、バビロンの王ネブカドネツァルがこれを打ち破った』(エレ46:1~2)。
これが世に言う「カルケミシュの戦い」で、勝利したのはバビロンとメディアの連合軍、敗れたのはアッシリアとエジプトの連合軍でした。その結果、既に虫の息のような状態にあったアッシリアは完全に消滅し、エジプトも近東地域への足掛かりを失ってしまうのです。そして、この戦いの結末は、ユダの国の一預言者であったエレミヤにも大きな影響を及ぼします。それは、それまでユダの人々から全く無視されてきたエレミヤの預言でしたが、このことを境に、急に注目を集めるようになるのです。今朝の3節でエレミヤは
『ユダの王、アモンの子ヨシヤの第十三年から今日まで、この二十三年間、私に主のことばがあり、私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞かなかった』
と言ってますが、それは、エレミヤが北からの脅威を、敵は北から攻めて来るということをずっと訴え続けてきたからなんですね。二十三年間も!けれども、先程の「カルケミシュの戦い」以前は、そんな兆候は見られなかった。だから、人々は「何言ってるんや!そんなことあるわけないやろ!」と言っていたのです。しかし、それが今や、リアルな現実のこととして感じられるようになってきたわけです。ただ、そのように、彼らが預言者のことばを拒絶するのは、何もエレミヤに始まったことではなく、その後の4節にあるように、イスラエル・ユダヤ民族の歴史そのものであったと言えるでしょう。そして、その究極・終着点がイエス・キリストでした。イエス様はもちろん、エレミヤのような人間の預言者ではありませんでしたが、「ヨハネの福音書」でヨハネは次のように証言しています。
『この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった』(ヨハ1:12~13)。
第一回バビロン捕囚
そして、このBC605年には、聖書だけに残されている歴史においても、二つの大きな出来事がありました。その一つは、「ダニエル」1章に書かれています。
『ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムに来て、これを包囲した。主は、ユダの王エホヤキムと、神の宮の器の一部を彼の手に渡された。彼は、それをシンアルの地にある自分の神の神殿に持ち帰り、その器を自分の神の宝物倉に納めた』(ダニ1:1~2)。
今、お読みした箇所では、「ユダの王エホヤキムの治世の第三年」となっていましたが、これは「ダニエル」が即位の翌年の一月を治世一年と数えるバビロニアの方式を採用しているからで、実際には、これは今朝の「エレミヤ」と同じ第四年、BC605年のことだそうです。「カルケミシュの戦い」に勝利したネブカドネツァ.は、その勢いでエルサレムまで攻め寄せ、これを包囲します。しかし、この時は、都エルサレムと神殿は破壊されなかった。それはなぜかと言うと、ネブカドネツァルの父王ナポポラッサルが亡くなったという知らせが届いたので、彼は急いでバビロンまで帰らなければならなくなったからだと言われています。ただ、この時、宝物とともに、ユダの王族の少年たちが捕虜としてバビロンにまで連れて行かれます。その中にダニエルもいたわけです。学者の中にはこれを第一回目のバビロン捕囚とする人もいるようです。
最初の「エレミヤ」
そして、もう一つ、このBC605年にあった出来事なんですが、それは「エレミヤ」36章に記されています。そこには「エレミヤ」の成立過程、本書がどのように書かれたかということについての記録があるのです。長くなりますので簡単にご説明しますと、36章1節にエレミヤが最初の「エレミヤ」を作成したことが書かれています。今、最初の、と言いましたが、エレミヤはこの時、弟子のバルクに自分の預言を口述筆記させ、その出来上がった「エレミヤ(巻物)」を断食の日に神殿で人々に読み聞かせるように命じるんです。しかし、そこには祖国ユダがバビロンによって滅ぼされるということが書かれていましたので、時の王エホヤキムは激怒し、その巻物を王宮の暖炉にくべて燃やしてしまうのです。そして、王はエレミヤとバルクを捕らえるように命じるのですが、二人は何とか難を逃れ、その後、36章の最後に書かれているように、「エレミヤ(巻物)」を作成し直すのです。それが、今の「エレミヤ」のオリジナルだろうと考えられています。ただ、弟子のバルクがエレミヤのことばを口述筆記した後、さらに同じような多くのことばもそれに書き加えたので、それで時代が前後するというか、バラバラになってしまったのだろう、と言われています。
<結論>
以上、BC605年という時代に焦点を当ててお話ししてきましたが、エレミヤが本書を通して何よりも伝えたかったことは、先週もお話ししたように、破壊と再生、敗れて目覚める。つまりバビロン捕囚とそこからの解放であったと思います。今朝の箇所でも、そのことについて預言されています。
12節。『七十年の終わりに~』。
その預言の通りに、捕囚の民は、あのアケメネス朝ペルシアの初代の王キュロスによって解放されます。ただ、エレミヤの預言はそれで終わりではありませんでした。その先があったんです。それが、今朝の開会聖句です。その預言は『見よ、その時代が来る』ということばで始まります。23章5節にも同じことばがありますが、エレミヤがこの表現を用いる時、それは時代的なことよりも、宣言される事柄の重大さに強調点が置かれています。そして、エレミヤが預言した「いつくしみの契約」とは、旧約の時代の契約のようではない、イエス・キリストの十字架によってもたらされた新しい契約、無条件の恵みの契約です。それは、「ヨハネ」にあったように、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになったということです。もはやユダヤ人であるとか、何人であるとかは問題ではないのです。それが、BC(ビフォークライスト)とAD(アンノドミニ・ラテン語で「主の年に」という意味です)の違いです。イエス様は、あなたがたは世にあっては苦難がある、と言われましたが、私たちもエレミヤと同じように、主の御国の希望に生きる者でありたいですね。
新聖歌
開会祈祷後:209番、メッセージ後:146番
聖書交読
詩編13篇 1~6節
2023年教会行事
8月23日(水) オリーブいきいき百歳体操 10~11時
#55-2882
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