しるしは万能薬?

京阪神でのコロナ感染者急増と医療現場のひっ迫のため、4月25日、政府から「蔓延防止等重点措置」に代わり、3度目になる緊急事態宣言が発出されました(期限:5月11日→5月31日まで延長)。感染状況を考慮し、4月18日よりしばらくの間対面での礼拝は中止し、オンライン礼拝として動画配信します。当ホームページに掲載のメッセージ原稿や、YouTube動画をご活用いただき、ご自宅で礼拝をおささげしましょう。詳細は上記リンクをご覧ください。
また、緊急事態宣言発出期間中の、日曜礼拝以外の集会もお休みします。

メッセージ

<ヨハネの福音書 4章46~54節>
メッセージ:信徒:K

開会聖句

「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」

<ヨハネの福音書 11章40節>

メッセージ内容

Youtube動画

今週の礼拝メッセージ動画配信はありません。


 

メッセージ原稿を公開しました。 

<はじめに>  
・先々週朝の連ドラ「おちょやん」が終わりました。すごく名作だったと言われる一方で、期待したほど盛り上がらなかったとも言われています。理由の1つは、主人公のモデル浪花千栄子が、以外と知られていなかったからだそうです。私も「オロナイン軟膏のCMの人」としての記憶しかありません。彼女がそのCMに起用されたのは、本名が「ナンコウ(南口)キクノ」だったからだそうです。昭和の頃、「一家に一つの万能薬」として、多くの家庭で重宝されていました。 もし信仰の世界で、重宝される万能薬があるとしたら、「しるし」「奇跡」という類いのものではないでしょうか。それがあれば、弱い信仰がたちまち強くなって、どんな試練も乗り越えられる信仰者になれる気がします。果たして、しるしは万能薬になるのでしょうか。

<本論>
Ⅰ.イエスさまの求める信仰は、見ないで信じる信仰です。

聖書を見ましょう。イエスさま一行は、ようやくサマリヤ宣教を終え、ガリラヤに戻って来られました。

46節「イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。イエスが水をぶどう酒にされた場所である。さてカペナウムに、ある王室の役人がいて、その息子が病気であった。」

「カナ」とありますね。イエスさまが結婚披露宴で、水がめの水をぶどう酒に変えた「第一のしるし」を行われたところです。ですから、今日の話は「第二のしるし」と、最後54節に書かれています。

主人公は王室の役人、カペナウム在住、息子は病気で生死をさまよう状態です。イエスさまがユダヤで色々なしるしを行われたという噂と、ガリラヤ帰郷の噂を聞き、わらをもつかむ思いで駆けつけてきたのでしょう。どうか一緒にカペナウムに下ってきて、息子を助けてほしいと願いましたが、イエスさまは

48節「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。」

と返答されます。それでも必死で求める彼に、

50節「行きなさい。あなたの息子は治ります。」

とことばを与えられました。彼はそのことばを信じて帰ります。帰る途中で、迎えに来ていたしもべたちに出会い、「息子が治った。」という知らせを聞きます。治った時刻を尋ねると、イエスさまが「行きなさい。あなたの息子を治ります。」と言われた時刻と同じだとわかり、彼も家の者たちも皆信じたという話です。
この並行記事が共観福音書にあります。46節の脚注に記されているマタイ8章、ルカ7章です。それは百人隊長のしもべの記事です。3つの記事の共通点は、イエスさまがその病人本人のところには行かないで、いやしを求めにやって来た人が、イエスさまのことばを信じたことで、いやされたことです。 違う点は、百人隊長の場合は、イエスさまは「病人のところに行く。」と言われたのに、百人隊長がわざわざ断り、「おことばだけで十分です。」と言ったことです。 一方王室の役人の場合は、あくまでイエスさまに来てもらい、いやされることを求めたのに、聞き入れられず、「あなたの息子は治ります」ということばをもらって、それを信じて帰ったことです。この役人は、「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。」と言われたイエスさまに対して、「見ないで信じる信仰」を表したのです。

ヨハネ福音書には、

「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人は幸いです。」(20:29)

とか、

「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。」(17:20)

とか、見ないで信じる信仰、ことばによって信じる信仰が高く評価されています。それは、イエスさまを直接体験できた人たち以降の、見ないで信じる世代(私たちも)のためであるとも言えます。イエスさまの求められる信仰とは、見ないで信じる信仰です。では、なぜしるしや奇跡をなさったのでしょうか。

Ⅱ.しるしや奇跡は、神の憐れみの実現のしるしです。

「しるし」の脚注には、「証拠としての奇跡」と記されていますから、神やメシアという特別な存在であることの証拠なのでしょう。しかし、イエスさまご自身は、しるしや不思議、今で言えば、パーフォーマンスをして、人を驚かせ、不思議な力を見せつけ、従わせるという方法を退けておられるようです。例えば、荒野での悪魔の試みは、そういうイエスさまの力を使わせようとするものでした。「苦しまないで、人心を掴める手っ取り早い方法。」と誘ったのですが、拒否されました。又、いやしを行った後、「誰にも知らせないように」と、口止めされる場合がありました。噂を聞いて、人々が押しかけ、宣教の妨げになったからです。どうもイエスさまは、しるしを見て信じる信仰を歓迎しておられないようです。 世間では、時々、ややこしい新興宗教のリーダーが現れ、事件が起きてニュースになりますが、たいてい不思議な能力を見せびらかすみたいですね。聖書の終末預言には、

「偽キリストや偽預言書が現れて、クリスチャンを惑わそうと、しるしや不思議を行いますから、気をつけなさい。」(マルコ13:22)

とありますから、イエスさまはそのような方法をとられないということを覚えておきたいと思います。

イエスさまは、旧約聖書のイザヤ書から、メシア到来のしるしを語られました。

「目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き・・・。」(マタイ11:5)

そして現実に、そのような数々のしるしを行われたのです。私たちはそのことを、メシアのしるしや証拠といった、表面的な理解で終わらせずに、イエスさまというメシアは、父なる神さまの

「恵みとまこと」を実現する方(1:17)

だからこそ、公生涯の宣言のあと、真っ先にそういう人たちのところに駆けつけ、憐れみいつくしみ、彼らの切実な必要に応えられたのだ、ということを心に留め置きましょう。しるしや奇跡は、神さまが私たちを深く憐れんでくださっていることのしるしなのです。
今日の開会聖句はヨハネ福音書

11:40「信じるなら神の栄光を見る、あなたに言ったではありませんか。」

このことばをタイトルにした「信じるなら神の栄光を見る」という本があります。著者は井戸垣彰という牧師で、1994年に59才で召されました。先生の本は何冊か読んで、全部忘れましたが、夫人が先生の死後出版された本は、覚えていることが1つあります。記憶によれば、二人は神学校で出会って、結婚されたと思います。卒業後、牧会、病気療養を経て、開拓伝道を始められ、色々と苦労されたことが書かれていました。 クリスチャンですから、問題が起きると、当然その解決のために必死で祈ります。はじめの頃はそれに神さまが明らかにはっきりと答えてくださっていて、一歩一歩乗り越えていってのですが、だんだんと、その神さまのはっきりとした答えが薄れるというか少なくなることを経験されたそうです。ふり返って考えてみると、それは、信仰が幼いときは、はっきりとわかるように答えてくださったけれど、信仰が成長するに従って、そういうはっきりとした祈りの答えが得られなくても、神さまを信頼することを訓練されたのだと思うということでした。
なるほどと思います。人の世では、私たちは人に裏切られたり、約束を破られたりという経験をするので、もしかしたら、神さまもこんな私に愛想をつかして、もう答えてくださらないのかもしれないと考え、不安になってしまうことがあるのはないでしょうか。そうではないのですね。100パーセント信頼できる神さまに信頼する信仰、つまり見ないで信じる信仰が、私たちの内に育つように、待っていてくださっているのです。

<むすび>

「しるしは信仰者にとって万能薬か?」の答えですが、ノーです。しるし、奇跡、不思議なわざ、また祈りの明解な答えは、必要ならば、必要に応じて神さまは与えてくださいます。しかし、信仰を成長させるのは、神さまへの信頼です。不安、疑い、失望に私たちが一時的に飲み込まれるようなことがあったとしても、神さまの約束のことばに信頼し、神さまとの信頼関係を育てていくことです。イエスさまのことばを握って、息子のところへ戻った役人のように、見ないで信じる信仰を、日々イエスさまに表わしていきましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF172KB)

2021年教会行事

大阪でのコロナ感染の急拡大を受け、週日の集会は、しばらくの間、お休みとさせていただきます。

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