言って聞かせて

メッセージ

<ヨハネの福音書 15章1節~17節>
信徒:K

開会聖句

キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。

<エペソ人への手紙 4章16節>

メッセージ内容

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 メッセージ原稿を公開しました。 
 

<はじめに>  
・タイトルは「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」という 格言の 1 節です。山本五十六が部下を育てるために大切にしていたことばとして有名です。 このことばは子育ての本にも載っていますが、私は高齢者に何かを教えるときの心得のように も思います。父と母の介護をしながら実感したことでした。父母は覚える力、理解する力が衰 えていました。通いの介護だったので、帰る際に言っておくことが多くありましたが、難しかった です。日常でも、「私はちゃんと言いました。」と「私は聞いていません。」のトラブルは多いで すよね。一方的に「言う」ことは簡単ですが、相手が確かに受け取れるように「言う」ことは、 相手への配慮が要ります。今日はイエスさまの不在に対して、「心を騒がせてはなりません。 わたしの平安を与えます。」の話は一旦おわり、もう一つの大切なことを話されます。何度も 同じことばを繰り返し、弟子たちに言って聞かせます。主題は「イエスが言って聞かせたこと」。

<本論>
Ⅰ.イエスにとどまりなさい

久しぶりにイエスさまのたとえ話です。「わたしはいのちのパン(世の光、よい牧者、道)です。」のように、ヨハネ福音書では「わたしは~である。」のフレーズを使って、イエスさまが自己紹介をされるのですが、「ぶどうの木」のたとえは少し違った点があります。

1 節「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です」、
5 節「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です」

を見ますと、自己紹介だけど、ご自分と父、ご自分と弟子たちがどんな関係であるかの紹介もされています。父とイエスさま、イエスさまと弟子たちには特別な関係があることを、イエスさま は伝えたいのです。ところが、この父はぶどう畑で働く農夫にたとえられ、実を結ばないものをす べて取り除くとか、刈り込むとあるので、ちょっと私は?と心配になることはありませんか。

私たちにはわかりませんが、旧約をよく知るイスラエルの民は、ぶどうの木は彼らイスラエルのことだとわかります。今、民数記を読んでいますが、彼らは神さまのご計画では、約束の地 に導かれ、定住し、神さまの素晴らしさを表わすはずでした。1 節の脚注イザヤ 5:1~2 節を読みます。

「わが愛する者は、よく肥えた山腹にぶどう畑を持っていた。彼はそこを掘り起こして、…良いぶどうを植え…ぶどうがなるのを心待ちにしていた。ところが…。」

イスラエルは、 カナンの他の神々を拝む人たちの間で、まことの神に仕えて歩むことを期待されていたのです が、「良いぶどうを植えたのに酸いぶどうができてしまった。」とあるように、期待外れの酸いぶどう、手本にならない堕落した民になってしまいました。それで、神さまは新しいイスラエルを再創造することにされました。それはイエスさまの働きを受け継ぐ弟子たちや私たちのことですと、 以前お話しました。この 1 節の強調点は「わたしは」で、「わたしこそがまことのぶどうの木、神さまの期待通りのよいぶどうの木だ。」と言われました。イエスさまは私たちと同じ人の弱さをもちながら、完全に父なる神のことばを語り、父のわざを行い、十字架にまで従い、父の栄光を 表わされた、父の目にかなった良いぶどうの木なのです。10 章の「わたしは良い牧者です」のたとえには、自分の仕事に不忠実な雇い人の牧者がでてきましたが、ここでは、まことのぶどう の木に対して、偽物の酸いぶどうの木の存在があります。それが農夫に取り除かれる枝で、 イエスさまがメシヤであることを拒否する人たち、ユダヤ社会の指導者たちのことです。

3 節「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。」

とあるように、 弟子たちはすでにきよく、新しいイスラエルですから、彼らは取り除かれるではなく、もっと実を 結び、神の栄光を表わすために刈り込まれるのです。そのために、イエスさまは何度も「とどまりなさい」ということばを繰り返して、彼らに言ってきかせています。

この 15 章後半、迫害の予告がされます。彼らがその時、信仰を失ってしまわないかイエスさまは気がかりでした。ルカ 22:31~32(p166)には、彼らが麦のようにふるいにかけられるから、 信仰がなくならないように彼らのために祈られたとあります。実際、ふるいにかけられた弟子たちは、イエスさまを否定し、逃げます。これが、これから共同体の核となるように期待されている 弟子たちの姿でしたが、イエスさまは 16 節「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。」と、彼らを選んだ主導権はご自分にあると教えられます。イエスさまが選び、召し、イエスさまとの関係の中に入れてくださっているのです。

「あしあと」 ある人が自分の人生が映し出された夢を見た。どの場面にも、なぎさを歩くイエスさまとわたしの二人のあしあとが残っていた。しかし、一番辛く苦しかったとき、砂の上のあしあとは一人分しかなかった。このことに心を乱し、悩んで主に尋ねた。「主よ、あなたに従うと決心したとき、あなたはすべての道でわたしとともに歩むことを約束してくださいました。しかし、 人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかありませんでした。わたしが一番あなたを必要としていたとき、なぜ、私を捨てられたのですか?」 イエスさまはこうささやかれた。「わたしの大切な子よ。わたしはあなたを愛している。決して捨てたりはしない。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」 私たちは困難に出会って、心が萎えるようなときがあります。聖書を読んだり,祈ったり、礼拝をささげたり、そういう行動は何もできない。でも、「とどまりなさい」ということばは、こちらからアクセスできないときでも、イエスさまがもうすでにつながっていてくださる、イエスさまとの関係の中にいるのだから、大丈夫ですよということだと思います。

Ⅱ.わたしが愛したように、愛し合いなさい

これは「とどまりなさい。」の消極的な面だと思うのですが、次は積極的な面を見ましょう。 10 節に書かれています。イエスさまが父の戒めを守って、父の愛にとどまっているように、弟子たちもイエスさまの戒めを守って、イエスさまの愛にとどまることです。そしてその戒めは

12 節 「わたしがあなたがたに愛したように、あなたがたも互いに愛し合うことです。」

父とイエスさまの間にあるのはアガペーという関係です。相手を大切にし尊重する、神さまが望まれる人格 関係です。イエスさまはそのアガペーの関係を弟子たちとの間でも持とうとされました。そして、 弟子たちの間でもその関係を持ちなさいというのが弟子への戒めです。その神さまが望まれ るアガペーという関係を見て、イエスの弟子だとわかりますと、洗足の場面でも話されました。

教会の土地は栄養豊かで、オリーブがよく成長します。裏庭にはドクダミがすごく繁殖しています。最近は駐車場にも顔を出し、ここまで延びてきたのかと驚いています。もう一つ勢いのよいのがむかごです。山芋のつるの葉のそばのわき芽に栄養が貯えられた部分のことで、つる が何かにからまって、どんどん上に伸び、大豆より少し大きいものがぶら下がります。秋に、私は収穫して、むかごご飯にして食べています。むかごとぶどうの木はつる植物という共通点があります。自分で身体を支えられなくて、他の何かに絡まり、上に伸びます。むかごは軽いのですが、ぶどうの実は重いので、しっかりした支えがないと垂れ下がって地面につき、腐ります。

今日の開会聖句は、エペソ 4:16「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」 教会という共同体はどのように成長するかが書かれてますが、クリスチャンのふさわしい人間関係とも言えるでしょう。すべての人がもれなく、 互いに支え合うために、組み合わされ、つなぎ合わされ、皆がそれぞれにふさわしい働きをし、 愛を実践しながら成長します。イエスさまがぶどうの木をたとえに使われたのは、イスラエルで身近だからですが、ぶどうの木と神さまが望まれる人間関係が似ているからではないでしょうか。支えという存在を必要とし、自らも支えとなります。絡まるものがないと育たないというぶどうの木の性質は、人は一人では生きることはできないということと似ています。神さまが望まれる人のありかた、生き方は、「人は人を必要とし、必要とされて生きる」生き方だと思うのです。

<終りに>

確かに、皆さんそう思っているでしょう。共に生きる、共生社会とよく言われますが、私たちはすぐに健全でない人間関係に傾いてしまいます(利用、支配、依存)。でも、イエスさまにとどまっている私たちは、互いに支え合って生きることが期待されています。たとえ、自分は小さく、 弱く、力ないと思っていても、誰かを助け支えるために存在していますし、また、力があって、一 人で大丈夫、私は人を助ける存在だと思っても、いや、私は誰かの支えを必要としているという謙遜な心を持って、互いに愛し合っていきましょう。

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新聖歌

開会祈祷後:154番、メッセージ後:332番

聖書交読

詩編146篇 1~10節

2023年教会行事

4月26日(水)オリーブいきいき百歳体操(10時~11時)

#55-2865

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