主の祈りⅡ

    令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
    なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

    メッセージ

    <ヨハネの福音書 17章11~23節>
    信徒:K

    開会聖句

    その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。

    <エペソ人への手紙 1章9~10節>

    メッセージ内容

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    メッセージ原稿を公開しました。  

    <はじめに>  
    ・17 章は長い告別説教が終わった後のイエスさまの祈りで、今日はその後半です。告別説教を始めたのは春でした。弟子たちは直前に、イエスさまが不在になるという衝撃の話を聞かされます。その不安な姿を、保育園に入園したばかりの子が、保護者と別れる涙涙の朝の風景に重ねてお話をしました。今日は子どもを置いていく保護者の立場であるイエスさまのことを考えます。新米の保護者と経験者とでは違うでしょう。また切り替えの早い人もありますね。
    イエスさまは、復活してすぐに会えるんだしと、先のことがわかってるので、置いてきた子が心配な人間の保護者とは違ったでしょうか。否、イエスさまも同じように、弟子たちのことがたまらなく心配だったようです。前回の祈りは、「わたしの栄光を表わしてください」というイエスさまの父への願いでしたが、今日は弟子たちのためのとりなしの祈りです。それで、この章は「大祭司の祈り」と言われています。今日の主題は、「イエスさまの弟子たちのための祈祷課題」です。

    <本論>
    I.悪い者から守ってください

    前回のイエスさまの願いは 1~5 節でしたが、今日は 6~26 節まであります。これだけでも、弟子たちへの心配の大きさがわかります。ここから、弟子たちとはどういう者かという3つの特徴を見ます。まず、彼らはイエスさまが父から委ねられた者たちです。9節「あなたがわたしに下さった人たち」 そして、イエスが父から遣わされた子であることを信じた者たちです。8 節「…あなたがわたしを遣わされたことを信じました。」 そして、イエスさまが父の御名によって守ってきた者です。12 節「彼らとともにいたとき、わたしはあなたが下さったあなたの御名によって彼らを守りました。」 なぜ、守る必要があったのか。それは16節「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。」だからですが、この世のものではない、じゃあ何なんだ?神のものです。弟子たちにはその自覚はなかったでしょうが、イエスさまが父から遣わされたことを信じたので、神と子の関係に入れられ、神の栄光を表わすものに変えられました。当時の宗教指導者は、形ばかりで、自分の欲に仕え、自分の栄光を求めていました。
    そういう腐敗した時代だったので、人々もイエスさまを嫌いました。今はまだ、イエスさまが盾となって彼らを守ってますが、この後、彼らをも憎むでしょう。だから、彼らのために 15 節「わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」と祈られました。イエスさまの祈祷課題の一つは「彼らを悪い者から守ってください」です。取り去るのではなく、と言われてるのは、弟子たちは今後証人として世に遣わされるからです。神の国はからし種に似ていると言われてます(マタイ13:31)。たった一人から始まった神の国は12弟子に広がり、この先、鳥が巣を作れるような大きな木になります。絶滅危惧種になっては困ります。彼らは守られなければなりません。

    では、彼らにとって「悪い者(悪)」とは、今の私たちにも当てはめ考えました。脚注の3つ箇所を見ていきます。
    ①ヨハネ17:11ここは「世」ですね。神が造られ、今は反抗しているが、回復のために神が働いておられるところですから、世を敵対視したり、憎むことはよくないです。でも、世に生きる私たちはその時代によって影響を受けます。十字架のあと彼らが経験する厳しい時代なら迫害、今の穏やかな時代なら世俗化という悪があります。
    ②マタイ 6:13「私たちを試みあわせないで、悪からお救いください。」主の祈りの一節です。この祈りは、今日悪いことが降りかかりませんようにという厄除けのような思いで、違和感を持ちながら祈っていたのですが、あるとき、信仰があるから大丈夫と過信しないで、「立っていると思う者は倒れないように…」(Ⅰコリント10:12)という心で祈ることを教えられました。何があってもイエスさまについて行くという強気の発言をしたペテロは、イエスを3度も否むという大失敗をしました。
    今の私たちは、当時から見ると、考えられない知識や技術を持ちました。しかし、人間の脆さ愚かさも問題となっています。私たちは弱いということをしっかり自覚することが大切です。ここでの悪は自己過信でしょう。
    ③マタイ 13:19。「だれでも、御国のことばを聞いて悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪います。道ばたに蒔かれたものとは…。」4種類の土地に蒔かれた種蒔きのたとえです。悪い者とはみことばを持ち去る者ですが、ここの強調点は、「悪い者に警戒しろ」ではなく、それは当然あるもので、避けるなら山にこもるしかありません。強調点は、「みことばの種が蒔かれたら、すぐに受け取れるように自分の心を耕しておきなさい。」ということではないでしょうか。忙しくて疲れていたら、みことばを受けとめる心の余裕がありません。先日、「今日、何してたん?」と聞かれ、「ゲームと YouTube 三昧。」というと、「最悪なおばあちゃんや」と言われました。伝道者の書に大変真面目な人のことが書かれてます(12:9~10)。でも、「次のことに気をつけよ。…」と続いてます。遊びであれ、真面目な学びであれ、要は、忙しくて疲れすぎては、大事なもの失いますよという警告です。これは、多忙という悪でしょう。これ以外にも、多くの悪がありますし、不完全な私たちはそれらを避けられないで、度々失敗を繰り返しています。しかし、イエスさまは「悪いものから守ってください」と父に願われ、今もとりなしてくださってます。だから、ハッと気づかされ、方向転換できるのです。主のとりなしの祈りに感謝しましょう。

    II.一つにしてください。

    次の祈祷課題は、20~21 節「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。父よ、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。…」 祈りの対象は12弟子から私たちまで続く次世代で、祈りの内容は、その人たちも父と子の交わりの中に入れて、一つにして下さいということです。教会というところは、信者が一人一人が集められたというより、初めからあった父と子の交わりの中に、一人一人が加えられることで成り立っています。そこで大切なのが互いに愛し合って、一つになることです。ヨハネ福音書は、特にこのことを強調していますが、それはそれが難しいという実情があったからです。同じ著者だとされるヨハネの手紙には、「反キリスト」ということばが出ています。Ⅰヨハネ 2:18~22「反キリストが来るとあなたがたが聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。…偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否定する者、それが反キリストです。」新約聖書がまだない時代、イエスさまについて色々なことを言う人たち、特にイエスの完全な神性と人性を否定する異端的な教えが教会を混乱させていました。ヨハネは、イエスがキリストであることを否定する者は「反キリスト」と厳しく言っています。

    異端的教えは排除しなければなりません。しかし、共同体には、排除でなく、乗り越えるべき課題があります。今日の開会聖句は

    エペソ1:9~10「その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。」

    主にあってすべてが一つにされることが、パウロに示された奥義でした。それで、パウロは異邦人にも、また男性にも女性にも、自由人にも奴隷にも、親にも子にも、等しく神に愛されていることを伝え、主にあって一つの教会を作ろうとしました。このような教会の姿は、革新的であったでしょう。でも問題が次々起こりました。コリントでは、礼拝の中で、複数の人が自分勝手に預言、異言を語るという秩序の乱れがありました。偶像に献げられた肉を食べていいのか、意見の混乱がありました。主の晩餐(聖餐式)では、裕福な主人たちが先に食事を済ませて酔っ払っているような状況で、パウロがひどく怒ってます。彼は、その発言で他の人が育てられるの(14:17)、他の兄弟のことを配慮しているの(11:22)、自分の考えはいいけど、人をつまづかせないように(8:9)と手紙で忠告しています。つまり、解決策は「愛を追い求めなさい」(14:1)「考え方において大人になりなさい。」(14:20)ということになります。病気になるというのは生きている証拠と言われるように、教会が生きているなら、問題が次々起こります。今なら、ハラスメント(力の支配)、ジェンダーといった問題があります。私たちが一つになることは、とても難しいのです。それ故、イエスさまは、父に祈られたのです。「一つにしてください」と。

    <おわりに>

    イエスさまの祈祷課題は、「悪いものから守ってください」と「一つにしてください」でした。教会の歴史には色々な過ちもありますが、イエスさまの祈りによって、支えられ、守られてきました。
    主のとりなしに信頼し、私たちも互いにとりなすことで、これからの歩みを続けたいと思います。

    メッセージ内容のダウンロード(PDF235KB)

    新聖歌

    開会祈祷後:7番、メッセージ後:146番

    聖書交読

    詩編19篇 1~6節

    2023年教会行事

    9月27日(水) のオリーブいきいき百歳体操はお休みです。

    #55-2887

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