御霊の働き

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<ヨハネの福音書 16章4節~16節>
信徒:K

開会聖句

私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊な
る主の働きによるのです。

<コリント人への手紙 第二 3章18節>

メッセージ内容

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 メッセージ原稿を公開しました。 
 

<はじめに>  
・コロナで生活が自粛された3年間に、時代が求める変化が急激に進みました。インターネットの普及で、自宅で仕事、授業、礼拝が可能です。オンラインの結婚式や葬儀を経験された方もおられるでしょう。葬儀の場合は式の簡素化や、家族葬という小さな少人数タイプが定着しました。キリスト教の葬儀や結婚式は人気があります。特に、葬儀は教会を知らなかった方にキリスト教を紹介するよいチャンスになります。明るい雰囲気が好印象なのでしょう(美しい花、賛美、慰めと希望の告別説教)。皆さんは自分の葬儀のために準備をされていますか。好きな聖句、愛唱賛美など。また、ここから説教してほしいと決めておくこともできます。家族、友人に言っておきたいことを伝える最後のチャンスです。イエスさまの告別説教は3章にわたる長いものですが、御霊という助け主について2度言及されました。今日はその2度目です。主題は「御霊の働き」です。新約の時代に生きる私たちにとって、大変重要な働きをされる方であることを、あらためて聖書から覚えたいと思います。

<本論>
Ⅰ. 御霊は世に誤りを明らかにし、悔い改めに導く

4節「これらのことをあなたがたに話したのは、その時が来たとき、わたしがそれについて話したことを、あなたがたが思い出すためです。わたしは初めからこれらのことは話すことはしませんでした。それはあなたがたとともにいたからです。」のこれらのこととは、迫害が起きることです。イエスさまは、この世から召し出され、イエスのものとなった弟子たちも憎まれますと、迫害の予告をされました。一度目の御霊が遣わされる約束は、イエスさまがいなくなることに驚き悲しむ弟子たちを慰めることばでしたが、ここでは、厳しい迫害を経験しなくてはならない弟子たちに少しでも平安を与えるために語られています。

冷たいものが欲しくなる季節です。テレビのCMで、「あるとき~無いとき~」というのがあります。豚まんとアイスキャンデーのときがあるのですが、皆の手にそれがあるときは大笑いし、ないとき全員ショボーンというCMです。そのあるときとないときの,対照的な表情が面白く、毎年新しいバージョンでシリーズ化されているのですが、私は、福音書のイエスさまと弟子たちの姿は、そのように対照的なように思うのです。イエスさまがニコニコ、弟子たちがショボーンというのではなく、御霊のある人とない人という対照です。イエスさまは、公生涯の始めにバプテスマを受けられましたが、そのとき御霊が天から鳩のように降りました。また、3:34「神が遣わした方は、神のことばを語られる。神が御霊を限りなくお与えになるからである。」とあります。一方、弟子たちですが、7:38~39節「『わたしを信じる者は…生ける水の川が流れ出るようになります。』イエスはご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光をうけておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。」 つまり、イエスさまには御霊が十分に注がれて、弟子たちには、まだ御霊が下っていないということです。御霊に満たされ、御霊に導かれたイエスさまは、神のことばである聖書を読んで、父の考えを正しく(本質を)理解されたので、父のことばを語り、父のわざを行うことができました。弟子たちも聖書をよく知ってはいましたが、そうではありません。そばにいながら、この方が聖書に約束されたメシアであることを理解できませんでした。これまでは、イエスさまが地上におられたから、それでもよかったのですが、イエスさまが彼らから去って行かれる時は迫っています。

イエスさまは7節で、助け主の必要性を説かれます。「わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去っていかなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。」 その働きは8節「罪について、義について、裁きについて、世の誤りを明らかになさいます。」(脚注―世に誤りを認めさせる。口語訳―世の人の目を開く、岩波訳―世を暴く) 罪と義と裁きについては、9~11節に、詳しく説明があります。
ペンテコステの日に、3千人が救われ、エルサレム教会が誕生しました。それは御霊に満たされたペテロの説教の成果でしたが、それだけではなく、御霊が聴衆に働かれ、彼らの目を開かせたからです。ペテロの説教の一部を読みましょう。使徒の働き2:22~24「神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行ない、それによって、あなたがたにこの方を証されました。…神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法をもたない人々の手によって十字架につけて殺したのです。しかし、神を、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。・・・」ここで、イエスさまを信じないことは罪であること、神はイエスさまをよみがえらせ義とされたこと、十字架刑はイエスさまへの裁き、イエスさまの敗北ではなく、勝利であって、支配者たちへの裁きであったことが明らかにされています。それで、聴衆は自分たちの誤りに気づいたので、どうしたらいいかと弟子たちに尋ねたら、「罪を赦していただくために、悔い改めなさい。」と言われ、イエスさまをキリストと信じました。御霊の一つ目の働きは、私たちの誤りを明らかにし、悔い改めに導くことです。悔い改めとは、方向転換という意味で、私の人生の主を、自分ではなく、神が私たちにプレゼントしてくださったイエスさまとすることです。ここが、クリスチャン人生のスタートになります。

Ⅱ.御霊は悔い改めた人をすべての真理に導き、神のかたちに造り変える

次に御霊の2つめの働きです。13~14節「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は…わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。」 私たちの目が開かれ、イエスさまのことがよくわかるようになり、一直線にクリスチャンライフを生きるはずなのですが、なかなか困難です。ただ、イエスさまだってそうでした。十字架という苦痛で、惨めな方法ではなく、もっと簡単で、皆をあっと驚かすような方法で彼らのメシアになることはできたのですが、何度も誘惑にあい、葛藤しながら「みこころがなりますように」と父に従い通されました。しかし、私たちはこの世の生き方が染みついていて無理なのです。自分の思いを手放せず、挫折の連続です。マラソンで言えば、完走なんて無理、棄権しますと言いたくなります。ですから、今日の開会聖句コリントⅡ3:18をご一緒に読みたいのです。「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように、主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」ここに、神さま目線のクリスチャンのその後の経過が記されています。それは、御霊がされる働きで、私たちがイエスさまのすばらしさに影響され、少しづつ、しかし確実に、主と同じかたちに造り変えられるのです。この「かたち」は、創世記1:26「さあ、人をわれわれのかたちとして造ろう。」のかたちです。

今受けているクラスでは、人間というのは、本来、ものすご~く神に似ているものとして造られたのだと、毎回聞かされます。天使がそれを見て、「こんなに神さまとそっくりさん造っちゃっていいの?」と驚くほど、似たものに造られたんだと。私たちの常識では、人は動物よりワンランク上に造られ、万物の霊長と言われるように、他の被造物より少し賢いから、神さまは地球の支配を任せたんだと(もちろん、無神論者はそうではない)思っているのではないでしょうか。しかし聖書は、神さまはご自分の栄光を映し出すものとして、人間を造られたと言います。
御霊の1つめの働きは,自分の誤りを認めさせ、悔い改めに導くことでしたが、2つめの働きは、そのスタートをきった人たちに、イエスさまを指し示しながら、造り変えていくことです。私たちは大きな悔い改めを一度しましたが、この世の影響を受け、世の考えに流されて、度々イエスさまから目をそらしてしまいます。その度に、御霊は弱い私たちを励ましたり、諭したりしながら、やっぱりイエスさま、あなたに信頼しますと、小さな方向転換に促してくださいます。そういう日々の神さまとの親密な関係の中で、私たちの内なる人が変えられ、思考や感情が変り、やがて行動が変わり、生き方が変えられます。

<終りに>

御霊は私たちの信仰生活にとって、なくてはならない助け主です。最後に私たちを造り変えることは御霊主導の働きですが、私たちがすることを考えましょう。私たちがすることは、確かに御霊は私の内に与えられていると素直に信じ、すでに私の内で働かれていると信じ、神のかたちに完成してくださると信じて、信仰生活を続けていくことだと思います。パウロは、御霊によって、信じる者がもっと神さまの豊かさを知るようにと、とりなしの祈りをしています。そのように、互いのために祈り合うことも、私たちのよいお手本だと思います。

メッセージ内容のダウンロード(PDF235KB)

新聖歌

開会祈祷後:135番、メッセージ後:382番

聖書交読

詩編5篇 1~9節

2023年教会行事

6月28日(水)オリーブいきいき百歳体操(10時~11時)

#55-2874

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