なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<イザヤ書 18篇1~7節>
牧師:砂山 智
開会聖句
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
<イザヤ書 55篇9節>
メッセージ内容
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<序論>
・「イザヤ」の13~23章は諸国に対するさばきの宣言で、本書の第二の主要部分をなしています。その宣言には、諸国の民の未来にどんなことが起きるかということだけでなく、諸国の運命を嘆くことばも含まれています。そして、それはさらに言えば、イスラエルを除いた他の国々へのさばきということではなく、イスラエルをも含んだ様々な民族に対してどのように神の大いなるさばきが臨むかということを預言したものだと言えるでしょう。
1.反アッシリア同盟
今朝の18章はクシュから来ていた使者に対して語られたイザヤの預言です。ただ、前回と同じように、この箇所を読んだだけでは、その歴史的背景を読み取ることは困難ですので、最初に少しご説明します。紀元前714年、クシュ(エチオピア)の王シャバカはエジプトを征服して、第25王朝のファラオの位に就きます。ただし、このエチオピアは、今のエチオピアと全く同じ国というわけではありません。ここで言われているクシュ(エチオピア)とは、エジプトの南端スエネの南にあるナイル川流域から紅海に至る東部アフリカ地域のことで、現在のエチオピアの北西にあたります。そのクシュの王でエジプトのファラオとなったシャバカは、当時、アッシリアの台頭に脅威を感じていたパレスチナの国々を誘い、反アッシリア同盟を結成しようと画策していました。ちょうどその頃、南ユダでは、あの名君と言われたヒゼキヤが王に即位していましたので、シャバカは使者をヒゼキヤのところに遣わし、反アッシリア同盟に加わるように呼びかけます。しかし、このような動きを知ったアッシリアの王サルゴン二世も、すぐさま反撃します。彼は北イスラエルを滅ぼした王としても知られていますが、軍隊を遣わしてペリシテの町アシュドデを攻略し、反アッシリアの動きを封じ、同盟を瓦解させるのです。そして、この時、多くの国々はアッシリアから制裁を受けるのですが、ユダだけはその制裁を免れます。ヒゼキヤが慎重に動き、反アッシリア同盟に深入りしなかったからです。それは、ヒゼキヤの背後にイザヤがいて、主からの助言を与えていたからですね。今朝の預言は、そのような歴史的背景の下でなされたものだと思われます。
2.背が高く、肌が滑らかな国民
1節と2節には、当時のクシュの国柄や、そこに住む人々が想像できるようなことばが出てきます。羽コオロギの国というのは、当時のクシュにはそのような虫がいっぱいいたのでしょう。また、2節の、パピルスの船というのは、当時、ナイル川でよく使われていたパピルスで作られた船のことで、表面に防水性を高めるための瀝青(アスファルトの原料)が塗られ、軽かったので素早く走ることができたそうです。そして、背が高く肌が滑らかな国民とは、当時のクシュ人を指していると思われます。彼らはそのような人たちだったのでしょう。ギリシアの歴史家ヘロドトスも、「歴史」という本の中で、エチオピア人を「世界の中で最も背が高く、また最も美しい民族」と紹介しているそうです。私がエチオピア人で、真っ先に思い浮かんだのは、マラソンでした。エチオピアは、マラソンの名ランナーを数多く輩出してきた国です。あのアベベもそうでしたが、確かにスラっとして黒い滑らかな肌の印象があります。
3.アッシリアへのさばき
そして、イザヤは、その後の3~4節で、世界のすべての住民、地に住むすべての者に対して警告を発します。3節に記されている旗と角笛というのは戦争開始のしるしであり、さらには、世の終わりのしるしとも受け取れます。イザヤは、世界の人々に、そのしるしをしっかりと見ろ、しっかりと聞けと警告しているのです。それは、今朝の預言では、直接的にはアッシリアの国が神のさばきによって滅びるということを示しています。4節の「わたしは静まり、わたしのところから眺める。照りつける日差しの暑さのように、刈り入れ時の暑さの中の雨雲のように」という主のことばは、この地上での出来事は、神に関係のないところで行われているのではないということです。私たちは、すぐ「なんでこんなことが起きるのか。神はいったい何をしておられるのか」と思ってしまうのですが、すべてのことは神のご支配の中にあるのです。神は、アッシリアの国がさばかれる時が来るまで、静かに眺めておられるけれども、その時が来れば、敢然と立ち上がり、アッシリアを滅ぼしてしまわれるということです。
そして、5~6節に出て来るぶどうの木についてですが、パレスチナでは、ぶどうの花は5月に咲きます。ぶどうの実が熟し始めるのは8月で、収穫は9月です。そのぶどうの木には、年に二回、刈り込みが行われます。一回目は、開花に先立ち、前年、実らなかった枝を取り除くための刈り込みです。二回目は、花が咲いてぶどうの実が実り始める時期に、収穫を増すためにぶどうの房にかぶさる枝や葉を取り除くための刈り込です。そして、パレスチナの辺りは燃料になる木が乏しいので、その刈り取られたぶどうの枝は乾燥させて燃料として用いられます。ここで言われているそれらの枝は、恐らくアッシリア軍の兵士の死体を表したものだと解釈できるでしょう。ぶどう園の農夫がいつ刈り込みを行うべきかを知っているように、主はいつ審判のためにアッシリアを刈り取るべきかを知っておられる。ぶどうの花が咲き、実がなって房が熟し始めると、神はそれを収穫され、枝は山の猛禽と野の獣に与えられる、と宣言されているのです。
そして、最後の7節ですが、これは、アッシリアが滅ぼされる時には、遠いクシュからも貢物がエルサレムに運ばれて来るということです。万軍の主の名のある場所とは、エルサレムの神殿のことであり、万軍の主のために贈り物が運ばれて来るとは、クシュが真の神の主権を認めるということ、つまり、回心するということを示しています。
<結論>
ただ、今朝のイザヤの預言について私たちが忘れてはならないことがあります。それは、この預言の核心は、単にアッシリアが神のさばきによって滅ぼされるということにあるのではないということです。実際、この少し後の20章を見ると、逆に、クシュとエジプトがアッシリアのサルゴン二世によって滅ぼされたことが記されています。それは、紀元前712年頃のことですが、クシュ・エジプトの王はイザヤの預言を受け入れなかった。神のことばを拒んだがゆえに滅ぼされたのです。イザヤは、この20章では、ことばではなく、裸になり、裸足になって歩き回るという、自らの身をもって神のことばを伝えています(行動預言)。しかし、それでもなお、神は今朝の預言、特に7節のクシュの回心の預言を忘れてはおられなかったのです。それは、この時代から700年後の「使徒」8章に記されている、エチオピア人の女王カンダケの高官で宦官であった人物がピリポの伝道で回心するということで成就します。この出来事は、その後に続く異邦人の救いの型となり、魁となりました。「使徒」8章以降を読むとよく分かりますが、イエス様の福音は、国や民族という壁を超え、全世界へと広がり、多くの異邦人を回心へと導いてゆくのです。今朝の開会聖句の「イザヤ」55章9節に、
『天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い』
とあるように、主のみことばは、私たちが理解できなかったとしても、私たちの思いをはるかに超えて、確かに実現するのです。この主に信頼して、今週も歩んでゆきましょう。
新聖歌
開会祈祷後:新聖歌396番、メッセージ後:新聖歌433番
聖書交読
詩編27篇 1~6節
2026年教会行事
今週の集会はお休みです。
#58-3037