反対しない人は味方

新型コロナウイルス感染拡大が続き、1月14日から大阪府を対象地域とした緊急事態宣言が発出されました。これに伴って、1月24日(日曜)から2月7日(日曜)までの間、教会に集まっての礼拝を休止します。
当ホームページに掲載のメッセージ原稿やYoutube動画を活用いただき、それぞれのご自宅で礼拝をお捧げください。

メッセージ

<ルカの福音書 9章46~50節>
メッセージ:牧師:砂山 智

開会聖句

しかし、イエスは彼に言われた。「やめさせてはいけません。あなたがたに反対しない人は、あなたがたの味方です。」

<ルカの福音書 9章50節>

メッセージ内容

Youtube動画


メッセージ動画公開:1/30 PM 16:53

メッセージ原稿を公開しました。 
<序論>  

・9章の冒頭には十二使徒派遣の記事があります。イエス様が弟子たちを同伴して巡回伝道しておられた段階は終わり、いよいよ使徒派遣によるガリラヤ伝道が始まります。

<本論>
1、受難予告

この9章には「マタイ」「マルコ」との並行記事が多くありますが、その中でイエス様は弟子たちに対し、ご自身の受難(十字架)について繰り返し予告しておられることに気づかされます。例えば21,22節です。

『するとイエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じられた。そして、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日目によみがえらなければならない、と語られた』(ルカ:21,22)。

これは、イエス様が弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と尋ねられて、ペテロが「神のキリストです」という花マルがもらえるような答えをした後、告げられたものです。ペテロは確かに、十二使徒を代表するかのようにして立派な答えをしたんですが、そんなペテロも、イエス様がすべての人の罪のために十字架に架けられ殺されるということ、イエス様はそのためにこの世界に来てくださったという、一番大切なことを理解していなかったのです。そして、それはペテロだけでなく、他の使徒たちも皆、同じでした。並行記事である「マタイ」16章には、ペテロがイエス様を引き寄せて、

「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません」(マタイ16:22)

といさめ始めた、と書かれています。イエス様は、そんなペテロに

「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(同16:23)

と叱責されたんですが、ルカはなぜか、そのやり取りについては書き残していません。
そして、イエス様は、この出来事の少し後。具体的に言うと九日ほど後のことですが、弟子たちに再び「受難予告」をされます。44節です。

『「あなたがたは、これらのことばを自分の耳に入れておきなさい。人の子は、人々の手に渡されようとしています。」』(ルカ9:44)。

これは、所謂「変貌の山」から下りてこられたイエス様が、「てんかん」の発作のような症状に苦しんでいたある一人息子を癒されたという奇跡の後に言われたことばです。ですから、弟子たちや周りにいる人たちは皆、その奇跡を目の当たりにし、イエス様のなさった驚くべき業に驚嘆し、神を褒め称えていたと思うんですが、イエス様は、その同じ人たちがやがて自分を捕まえ、つばをかけ、十字架にかけて殺すのだ、と言われたのです。
続く45節には、

『しかし、弟子たちには、このことばが理解できなかった。彼らには分からないように、彼らから隠されていたのであった。彼らは、このことばについてイエスに尋ねるのを恐れていた』(同9:45)

と書かれています。鈍い弟子たちにも何か不吉な予感のようなものはあったみたいですが、彼らは自分にとって嫌なこと、知りたくないことは聞きたくないと、あえてイエス様に尋ねなかったのでしょう。それは、弟子たちが皆、この方について行けば自分の夢がかなう。自分も人々から称賛を受け、成功者のようになれる、と思っていたからではないでしょうか。そして、ついに、そんな彼らの心の奥底にあった本音が噴き出します。それが今日の箇所なんです。

2、だれが一番偉いか

46節には、弟子たちは、だれが一番偉いかということで議論を始めた、と書かれています。まさに「俺が、俺が」の世界ですよね。
イエス様は、そんな彼らの心にある考えを知って、一人の子どもを自分のそばに立たせて言われました。

『「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、だれでもわたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。あなたがた皆の中で一番小さい者が、一番偉いのです。」』(ルカ9:48)。

前にもお話ししたように、イエス様の教えには逆説的なものが多いのですが、何か、あなたがたは子どものようになれ、小さな子どもが一番偉いのだ、と言っておられるようにも聞こえます。しかし、ここで大切なことは、単に大人より子どもが偉いということではなく、「一番小さい者が一番偉い」。それは、イエス様が宣べ伝えられた「福音(良い知らせ)」というものを表すことばではないかと思うのです。神がご支配される世界、神の国とはそんな国なんだと。
自分には資格がある、自分は救われて当然な正しい人間なんだと思っている人は、実は神さまから一番遠い存在なんだ、ということを改めて思わされます。
そして、その後のイエスさまのことば、今日の開会聖句なんですが、少し不思議なことばですよね。ヨハネが、「先生。あなたの名によって悪霊を追い出している人を見たので、やめさせようとしました。その人が私たちについて来なかったからです」と
言ったのに対して、イエスさまは次のように言われたんです。

『「やめさせてはいけません。あなたがたに反対しない人は、あなたがたの味方です。」』(ルカ9:50)。

<結論>

だいたい、このヨハネという弟子は、兄弟のヤコブもそうですが、イエス様に「雷の子(ボアネルゲ)」という綽名をつけられるほど気性の激しい人であったと言われています。この少し後の54節には、イエス様を受け入れようとしないサマリア人たちのことを怒って、「主よ。私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか」なんて言って、イエス様から叱られたとあります。ですから、今日の所でも、かなり上から目線のようなものを感じますが、「お前ら!うちの師匠の名前を使って、何、勝手なことやっとんじゃ!この落とし前、どうつけるつもりや!」というようなことを言って相手を脅したのではないでしょうか。これも「俺が、俺が」の世界ですね。けれども、イエス様はそんなヨハネに向かって、「これ、ヨハネ。そんなこと言ったらあかんやないか。あんたらに反対せーへん人は、あんたらの味方なんやから」と言われたんです。なにか、この場面は、大阪弁の方がしっくりくるような気がするんですが、私は、これは私たちのように信仰の世界に生きる者が、ともすれば陥ってしまいやすい過ちへの警告ではないかと思わされました。
先週の週報で、私たちの教団の70周年準備委員会特別企画として作成されたYouTube動画「信仰告白ってなぁに?」をご紹介しましたが、ご覧になっていただけましたでしょうか?その「信仰告白」の最後には、「日本MB教会は平和の民である」と書かれています。平和の民として召された私たちは、一人でも多くの方々と手を携えながら歩んで行きたいですね。

メッセージ内容のダウンロード(PDF89KB)

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省略します。

2021年教会行事

緊急事態宣言発出期間(1月14日から2月7日)の行事は休止します。

#53-2749

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