掃除された家

新型コロナウイルス感染拡大が続き、1月14日から大阪府を対象地域とした緊急事態宣言が発出されました。これに伴って、1月24日(日曜)から3月7日(日曜)までの間、教会に集まっての礼拝を休止します。
当ホームページに掲載のメッセージ原稿やYoutube動画を活用いただき、それぞれのご自宅で礼拝をお捧げください。

メッセージ

<ルカの福音書 11章14~26節>
メッセージ:牧師:砂山 智

開会聖句

帰って見ると、家は掃除されてきちんと片付いています。そこで出かけて行って、自分よりも悪い、七つのほかの霊を連れて来て、入り込んでそこに住みつきます。そうなると、その人の最後の状態は、初めよりも悪くなるのです。」

<ルカの福音書 11章25~26節>

メッセージ内容

Youtube動画


メッセージ動画公開:2/6 PM 14:13

メッセージ原稿を公開しました。 

<序論>  

・先週の説教は9章からでしたが、「ルカの福音書」は9章で大きな転換点を迎えます。それまでガリラヤ地方を中心に宣教活動を行っていたイエス様と弟子たちが、いよいよエルサレムを目指して出発するのです。9章51節をご覧ください。

『さて、天に上げられる日が近づいて来たころのことであった。イエスは御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた』(ルカ9:51)。

ですので、この箇所から19章後半までに記されている出来事は、イエス様と弟子たちがエルサレムへ向かう旅の途中で起こった出来事ということになります。

<本論>
1、ベルゼブル論争

今日のテキストの11章15節には、

『しかし、彼らのうちのある者たちは、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言った』

と書かれています。この『彼ら』というのは、その前の節にある『群衆』を指していますが、『彼らのうちのある者たち』とは、どんな人たちだったのでしょうか?「マタイ」と「マルコ」にある並行記事を見ると、それは

『パリサイ人たち』(マタイ9:34)、

或いは

『エルサレムから下って来た律法学者たち』(マルコ3:22)

ということが分かります。彼らは当時のイスラエルでは指導的な立場にある人たちでした。そんな彼らがイエス様のことを誹謗中傷したのは、イエス様の奇跡に驚嘆する人たちの姿を目の当たりにして、これはひょっとしたら自分たちの立場が脅かされるのではないかという恐れを抱いたからだと思います。ただ、「毒を以て毒を制す」という諺もありますので、一見、彼らの非難はもっともなようにも思えます。しかし、イエス様は、その矛盾をズバッと突かれました。17節。

『「どんな国でも内輪もめしたら荒れすたれ、家も内輪で争えば倒れます。』(ルカ11:17b)。

今日はNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回、あの本能寺の変ですが、まさに織田信長が亡びたのは、内なる敵(明智光秀)によってですよね。その原因は?背後に黒幕のような人物はいたのか?どのように描かれているのか楽しみですが、どんなに堅固な城も、内輪で争えば滅びてしまうということは歴史が証明するところです。

2、強い者ともっと強い人 味方と敵

ただ、今日のイエス様のことばの後半部分なんですが、少しわかりにくいですね。まず、21,22節。

『強い者が十分に武装して自分の屋敷を守っているときは、その財産は無事です。しかし、もっと強い人が襲って来て彼に打ち勝つと、彼が頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます』(ルカ9:21,22)

この『強い者』とはサタン(ベルゼブル)を指し、『もっと強い人』とはキリストを指していると思われますが、サタンが支配するこの世の王国、暗黒の世界を圧倒する神の国は、ご自身が来たことによって既に到来したんだ、とイエス様は言われたのだと思います。そして、その後のみことば、23節ですが。

『わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしとともに集めない者は散らしているのです』(同9:23)。

先週の説教で、「あなたがたに反対しない人は、あなたがたの味方です」というみことばからお話ししました。そのみことばと比較しながら考えると、「あなたがたに反対しない人」、つまり、人間同士の関係では、同じクリスチャンであっても、どうしても、馬が合う、馬が合わない、或いは信仰的な立場が違うということがあるかもしれない。しかし、そんな相手であっても、核心部分で反対でないなら、あなたがたの味方だと思ってつき合いなさい。けれども、「わたしに味方しない者」、つまり、イエス様との関係においては、味方なのか敵なのかということについてははっきりと問われなければならない。ただ、それは最終的には私たち人間が決めつけることではなく、神がお決めになることなんだけれども、少なくともご自身のことばに明確に逆らうような者は敵対者だと言われたのではないか、と私は受け止めました。
そして、今日の箇所での最大の難問は開会聖句、24~26節のみことばだと思います。このイエス様のことばを、私たちはどのように解釈すればよいのでしょうか?

3、パリサイ人の問題

このみことばについて、ある本の中に藤木正三牧師の興味深い解釈が書かれていました。正確に言うと、今日の並行記事である「マタイ」の箇所についての解釈なんですが、最初にお話ししましたように、今日の場面でイエス様を非難したのはパリサイ人たちでした。そのパリサイ人とは、ユダヤ教の核心とも言えるモーセの律法を守って、それに忠実に生きようとする、言わば宗教的・道徳的エリート集団でした。その意味で彼らは、自分たちの信仰の純粋性を守るために世俗化という、言わば悪霊を追放し、律法をきちんと守り、それどころか律法の要求する以上にそれを厳しく守って、他と一線を画する人たちだった。藤木牧師はそのように解説された後、さらに次のように書いておられたんです。

「彼らは、信仰に純粋に生きようとし、きちんと律法を守っていました。さながら家を掃除し、整えるかのように、きちんとしていました。しかし、彼らは決定的な誤りを犯しているのです。彼らをそのように信仰の俗化から守ってくださっているのは共に働いてくださる神であるのに、そのことに気がついていないのです。そしてその代わりに、自分の力で、自分の熱心さで、一生懸命信仰を純粋に守ろうとし、事実、自分たちはそのようにしていると自負していることです。したがって、彼らの心を支配しているのは、汚れた悪霊を追放して入ってくださった聖霊ではなくて、『自分の思い』なのです。エゴなのです。その意味で彼らは、前よりもっと悪い状態になっているのです。自己中心、人を見下げる高慢、信仰的にはまさに空っぽ『空き家』なのです。私たちは『空き家』ではないのです。そのようにイエス様はしてくださったのです。つまり、神は共にいてくださって、その恵みで満たしてくださったのです。くださっているのです。しかし、パリサイ人たちには、きちんとした生活はありますが、神への心からの感謝はありません。人生への感動はありません。信仰を持っているつもりで、信仰もありません。代わりに、自分の整った生活を誇り、人を見下すエゴがあります。その点、彼らは普通の人よりも、もっと悪いのです」。
引用文献:「系図のないもの―聖書的独白録」著者:藤木正三 出版社:近代文藝社(2000年3月)

<結論>

私はこの一文を読んで、数年前に聞いたある先輩牧師の証を思い出しました。今はもう第一線からは退いておられるんですが、昔、ある教会を牧会しておられた頃、一人の男性の教会員の方が教会内の人間関係に躓いて、教会に来られなくなるということがあったそうです。それで、その牧師は心配してその方の家まで訪問されたんですが、そうしたら、その方が次のように言ったそうです。「先生、ご心配をおかけしてすみません。私は大丈夫です。教会には行ってませんが、酒、たばこは一切やってません!クリスチャンとして間違ったことはやってません!」。その言葉を聞いて、その牧師は心の中で「ちょっと違うんだけどなぁ」と思った、とおっしゃってました。その教会員の方にとって、クリスチャンとは、酒、たばこを一切やらないということ。それをやったら、もう信仰者じゃないよ、クリスチャン失格だよ、ということだったんですね。もちろん、酒、たばこにはマイナスの面があります。聖書にたばこは出てきませんが、健康には良くないでしょうし、周りの方の受動喫煙という問題もあるでしょう。お酒にも様々なリスクがあります。しかし、それらのことは、信仰と直接には関係のないことだと思います。それより問題なのは、そのご本人はいいとしても、他の人に対してもそのような目で見てしまう。聖書がはっきりと罪だと言っていないことまで自分の価値基準を押しつけ、それが守れないのなら信仰者として失格だという烙印を押す、その思い上がりではないかと思うのです。
「ヨハネの福音書」1章12節に、次のようなみことばがあります。

『この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである』(ヨハネ1:12)。

この人々とは私たちクリスチャンのことですが、私たちは血筋や民族によってではなく、肉の望むところや人の意志によってでもなく、ただ、神によって、神の恩寵によって生まれた者たちだ、ということですね。今週も、自分の思い、自分の価値基準ではなく、神の恩寵によって、私たちの内に住んでおられる聖霊に導かれて歩みたいですね。

メッセージ内容のダウンロード(PDF108KB)

新聖歌

番号の指定はありません。

聖書交読

省略します。

2021年教会行事

緊急事態宣言発出期間(1月14日から3月7日)の行事は休止します。

#53-2750

One comment to this article

  1. mb-senri_web

    on 2021年2月6日 at 4:20 PM -

    今回のメッセージ中で紹介されている藤木正三牧師の著書に関して、当教会の牧師より一部補足しておきます。

    工藤信夫先生(クリスチャンの精神科医)による著書「真実の福音を求めて-信仰による人間疎外その後」(いのちのことば社)の中で引用しておられて、今回、ご紹介させてもらいました。(牧師:砂山 智)

    「真実の福音を求めて-信仰による人間疎外その後」(いのちのことば社)に関しては下記のリンクをご参考にしてください。
    Amazonのサイトに移動しますが、読者のレビューなどを参照できます。
    https://www.amazon.co.jp/%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AE%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%A6-%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E4%BA%BA%E9%96%93%E7%96%8E%E5%A4%96%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BE%8C-%E5%B7%A5%E8%97%A4-%E4%BF%A1%E5%A4%AB/dp/4264033519/